大阪高等裁判所 昭和44年(行コ)55号 判決 1972年2月16日
控訴人・附帯被控訴人
神戸税関長
上国料巽
右訴訟代理人
中山晴久
外一五名
被控訴人・附帯控訴人
神田綽夫
外二名
右三名訴訟代理人
宇賀神直
外四名
主文
本件控訴を棄却する。
原判決主文第一項を取消す。
附帯被控訴人(控訴人)が附帯控訴人(被控訴人)らに対してなした昭和三六年一二月一五日の各懲戒免職処分の無効確認を求める訴を却下する。
その余の本件附帯控訴を棄却する。
訴訟費用は、附帯控訴費用を除き第一、二審とも控訴人(附帯被控訴人)の負担とし、附帯控訴費用は被控訴人(附帯控訴人)らの負担とする。
事実
控訴人(附帯被控訴人。以下単に控訴人という。)代理人は、「原判決主文第二項及び第三項を取消す。被控訴人らの処分取消請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決ならびに附帯控訴棄却の判決を求め、被控訴人(附帯控訴人。以下単に被控訴人という。)ら代理人は、主文第一項同旨の判決ならびに附帯控訴につき、「原判決主文第一項を取消す。控訴人が被控訴人らに対してなした昭和三六年一二月一五日付の各懲戒免職処分はいずれも無効であることを確認する。」との判決を求めた。<中略>
理由
一、被控訴人らの本件懲戒免職処分の無効確認を求める訴について。
被控訴人らは、第一次請求として、控訴人が昭和三六年一二月一五日になした本件懲戒免職処分の無効確認を求めている。しかしながら、右無効確認は、昭和三七年一〇月一日施行された行政事件訴訟法(以下行政訴訟法という。)三条四項に定める処分の効力の有無の確認を求める訴訟であることは被控訴人らの主張に徴し明らかであるところ、同法三六条の規定によると、無効等確認の訴は、当該処分又は裁決に続く処分により損害を受けるおそれのある者その他当該処分又は裁決の無効等の確認を求めるにつき法律上の利益を有する者で、当該処分若しくは裁決の存否又はその効力の有無を前提とする現在の法律関係に関する訴によつて目的を達することができないものに限り提起することができるのであるが、被控訴人らの本件懲戒免職処分無効確認の訴は、被控訴人ら主張の右処分の無効を前提又は理由とする現在の法律関係である国家公務員としての地位確認の訴により目的を達することができるのであるから、被控訴人らは、同法三六条により無効確認の訴を提起することができないものというべきである。仮に、被控訴人らの無効確認の訴の趣旨が被控訴人らの国家公務員としての地位確認を求める趣旨であると解せられるとしても、右訴は、行政訴訟法四条に定める当事者間の法律関係を確認する訴訟で、公法上の法律関係に関する訴訟であり、いわゆる当事者訴訟であると解すべきであるから、当該法律関係の帰属する権利主体のみが正当な当事者である。本件につきこれをみるに、被控訴人らの前記請求の趣旨が神戸税関の職員であることの確認を求める趣旨であるとするならば、右公法上の法律関係の帰属主体たる国を被告として訴えるべきであり、神戸税関長たる控訴人を被告として訴えることはできないものと解するを相当とする。そうすると、本件無効確認を求める訴は、いずれにしても不適法であるから却下を免れない。原審は、被控訴人らの本件無効確認の訴を地位確認訴訟であり、訴としては適法であるとし、請求につき審理し、その理由がないとしてその請求を棄却したが、右は前記説示に照し失当であるから、この点に関する原判決は取消を免れない。訴を却下する判決は、いわゆる既判力を生ぜず、訴訟事件を具備させると、再訴が許される意味において、請求を棄却した判決よりも有利であると解すべきである。従つて、被控訴人らの本件附帯控訴は、一部理由があるから、原判決中本件懲戒免職処分の無効確認の請求を棄却した部分を取消し、右訴を却下するが、その余の附帯控訴は、理由がないからこれを棄却することとする。
二、本件各懲戒免職処分取消の請求について。
当裁判所は、右各処分の取消を求める被控訴人らの請求を理由ありとして認容すべきものと認めるが、その理由は、次のとおり訂正附加するほか、原判決理由第二項ないし第七項の記載と同一であるから、これを引用する。
(編注、以下本判決により訂正附加された後の原判決理由第二ないし第七項を掲載する。読者の便宜のため訂正附加部分は傍線を付した)
二、本案の冒頭事実について
原告らがいずれも神戸税関職員で、原告神田は副関税鑑査官(大蔵技官)、同中田、同田代はいずれも大蔵事務官であつたこと、被告が原告らを昭和三六年一二月一五日別紙処分の理由記載の理由により懲戒免職処分にしたことの各事実は当事者間に争いがない。
三、処分説明書が不適法であるとの主張について
国公法八九条一項が、懲戒免職に際し、処分説明書の交付を要するとしているのは、処分の公正を確保するとともに、処分を受けた職員に処分理由を熟知させ、不服がある場合には人事院に対する審査請求などの法的救済の資料と機会を与え、よつて職員の身分を保証するためであると解される。この目的からみれば、処分説明書の処分事由たる具体的事実は、事実関係の同一性を識別できる程度に記載されることが必要であり、かつその程度で足り、情状に関する事実は必ずしも記載を要しないものと解される。
そこで、本件処分説明書の処分理由について検討するに、懲戒免職処分という、被処分者にとつては身分上重大な結果をもたらす処分の説明書としては、その事実の記載は概括的で具体性に欠け、やや不明確な点もないではないが(特に適用法条についてそうである)、この程度の記載でも、一応日時、場所等によつて原告らの行為が特定されており、従つて、本件処分を違法とする程の手続的瑕疵があるものとは認められない。
四、処分事実について
(一) 組合活動について
まず、本件処分に至る背景の一つとして、組合活動について判断する。
<証拠>によれば、次の事実が認められる。
組合は、昭和三三年頃から活発に活動を始め、公務員共斗会議、兵庫県総評に加入し、三四、三五年頃には、他官庁なみの年末年始休暇要求、一律三〇〇〇円賃上げ、職場の民主化、監視部の休憩休息問題、警察官職務執行法改正反対、日米安全保障条約反対などの諸要求をかかげ、また輸出業務の増加に人員増加が追いつかないので、処理業務を減らす業務正常化斗争などを行なつた。日米安保条約反対斗争においては、昭和三五年六月中三度にわたり、午前九時三〇分頃までの勤務時間にくいこむ職場集会を行ない、組合役員多数が減給、戒告の懲戒免職処分を受けた。昭和三六年には、一律五〇〇〇円賃上げ、勤務評定反対、合理化計算センター設備反対、人事の民主化、不当配転反対、昇給昇格の完全実施、政暴法反対などをかかげていた。計算センターの設置は、人員を増加せずに業務処理をしようとするもので、結局労働強化につながるものとして、合理化反対の一つとしてその設置に反対し、また輸出の増加により増加する業務を処理するため、欠員の補充、人員増加、強制残業反対をとなえていた。なお、同年六月には東部出張所が開設されて管轄区域が一部移り、それに伴つて職員も移つたが、組合側は、業務の増加で本館での業務は減少せず、実質的には減員であると主張していた。合理化反対斗争が行なわれていた同年八月に、執行委員の大塚宏圀に対する懲戒免職処分があり、九月には女子職員株谷某が尼崎支所への配転となり、これに対して組合は、いずれも反対斗争に対する仕返しだとして抗議していた。そして昭和三六年一〇月の職場集会、一一、一二月の輸出関係での人員増加要求へと進んで行つた((二)以下参照)。当時の団体交渉は、午前一一時或いは午後四時から開かれ、午前一二時或いは午後五時になると打切るということがあり、同年一一月二八日頃から一二月四日頃まで、組合員が、不当配転反対、昇給昇格の完全実施などを要求して税関長室前廊下に坐りこみを続けたところ、当局は、坐りこみをやめない限り交渉に応じないとして、団体交渉がもたれなかつた時期もあつた。
以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
(二) 八月一九日の件
昭和三六年八月一九日、神戸税関長官房主事森弘が、同主事室で大塚宏圀に対し、懲戒免職処分書及び処分説明書を交付しようとしたこと、組合員多数が同室におもむき、処分が不当であるとして抗議したことは当事者間に争いがない。
<証拠>によれば、次の事実が認められる。
大塚宏圀に対してなされようとした懲戒処分の処分理由の要旨は、昭和三四年一〇月二七日、大塚が外国貿易船天栄丸の高島一志を同船に訪ねて一緒に下船した際、高島が米国製たばこ二カートン、米国製キスチョコレート二函の密輸入を企てて携帯しているのを知り得べき立場にありながら、これを確知することなく、税関職員として適切な助言、指導を怠り、かつ陸務課の検査に協力しなかつたのは、身分上密輸の意図に利されることのないようにすべき税関職員たるにふさわしくない行為にあたる(国公法八二条三項)ということである。当局は右高島の密輸事件に関連して、同三四年一一月一九日から右大塚を取調べ、以後断続的に同三五年七月始め頃まで続けられたが、その間神戸新聞紙上に、同三四年一一月三〇日号には「税関職員が密輸の片棒?」との見出しの記事、同三五年六月二八日号には「七ケ月ぶりクロと断定」との見出しの記事及び懲戒免職処分もやむを得ないとの江口監視部長の談話がそれぞれ掲載された。これに対し組合は独自の立場で調査をして、大塚に違反行為はなく組合への弾圧であると抗議していた。
その後何もなかつたが、同三六年八月一九日、当局は大塚を関長公用で呼び出し、税関長に代つて森官房主事が午前一一時五〇分頃処分書及び処分説明書を交付しようとした。大塚は組合書記局に寄り、関長公用で呼ばれた旨を伝えて主事室に行つたのであるが、横江副支部長ら組合執行委員及びその他の組合員は、大塚の処分を知るや一二時前から一二時三〇分頃にかけ続々主事室につめかけ、大塚とともに森官房主事に不当処分だとして抗議した。その主な内容は、処分理由の知り得べき立場にありながらとはどういうことか、関税法違反でクロと断定、懲戒免職処分もやむを得ないと新聞発表したが、それはどうなつたのか、一年一〇カ月も前のことを何故今頃もち出したのか、処分権者である税関長が何故交付しないのか、ということであつた(一年一〇カ月も前の事件で処分されたこと、税関長以外の者が処分書を交付したことは、神戸税関では例のないことであつた)。これに対し官房主事は、処分理由は説明書のとおり、関税法違反の点はわからない、税関長は午前一〇時前用事で出かけそのまま官舎に帰つたと思う、私は処分書を渡しておくように言われただけだと答え、それ以上の説明をしなかつた。
組合員は一二時三〇分から一時頃にかけて四〇ないし五〇名になり、室内は身体が触れ合うほどになつていたが、官房主事の説明を、理由にならない、不誠実だとして抗議を続け、口々に、理由を説明せよ、できないのなら税関長を呼べ、でつちあげだ、処分を撤回せよ、バカヤロー、チンピラ、などと大声をあげたので室内は騒然となり、当局側も同じ返答をくりかえし、一時三〇分頃まで押し問答が続いた。このように押し問答が続く中で、一時三〇分から二時頃にかけて、森官房主事、高松人事課長らは組合員に対し、「帰ります」、「退去して下さい」と要求したが、多数の組合員は進路を開けることなく立ちはだかつて抗議を続け、その間室内や入口ドアには、「不当弾圧撤回!」、「首切りを仕事にする奴、森!」、「オマエはバカなチンピラだ」、「チンピラ弾圧屋の森税関から出て行け」、「メッセンジャーボーイもできぬ官房主事はヤメロ」などと書かれたビラが貼られ、同趣旨の発言がなされていた。
原告田代は、組合員の一員として、官房主事、総務課長らの附近に位置して激しく抗議していたが、同人らの耳もとで、バカヤロー、チンピラなどと怒声、罵声を発し、また携帯マイクを使用して同様の行為をした。
当日は八月中旬の酷暑の頃であり、約二八平方米の狭い部屋に多勢の者が集つたうえ喧噪な状態が続き、官房主事は疲労の色を見せていたが、横田総務課長が休憩をかねて相談したいと申し入れ、組合員らもこれを認めて二時三〇分頃から約一五分間中断した外は同様の状態が続き、主事や課長らの退室要求は無視された。三時一五分頃、森主事、横田課長らは、休憩したい、税関長官舎に行つて税関長に組合の意見を伝えたいと申し入れ、三時三〇分頃森主事、横田課長、高松課長の三人が出かけた。四時五〇分頃森主事らは帰つて来て「勤務時間外だから話があるなら月曜日に会う。」との税関長の返事を伝えたところ、残つていた組合員二十数名は「すぐ呼んで来い」などと怒号し、室内は再び喧噪状態となり、森主事や高松課長の「帰して下さい」、「退去して下さい」との要請を無視して退室させず、抗議を続けた。そうしている内五時三〇分過ぎ頃パトカーのサイレンが聞えたので、大谷監視部長が警察へ行つたとの連絡を受けていた組合員らは退室し、そこへ警察官約三〇人が来て森主事らは警察官に守られて室外に出た。
(証拠判断省略)
(三) 一〇月五日、二六日の件
昭和三六年一〇月五日午前八時四〇分頃から本庁舎玄関前で職場集会が行なわれたこと、税関職員の勤務時間は午前八時三〇分から午後五時(土曜日は午後〇時三〇分)までとの定めがあること、午前九時五分頃本庁舎総務課文書事務室及び別館図書室の各窓から、勤務時間内集会は業務に支障を来たすし違法だから勤務につくようにとの趣旨の懸垂幕の掲出とともに、携帯マイクにより同旨の放送がなされたこと、集会終了後多数組合員が職場に帰る際税関長室前を通行したこと、原告らが集会前に本庁舎前でその準備をしたこと、原告神田、同中田が組合支部長、書記長として挨拶や報告をしたこと、同年一〇月二六日本庁舎前及び東部出張所二階ベランダで午前八時四〇分頃からそれぞれ職場集会が開かれたこと、九時五分頃本庁舎前では前記同様懸垂幕の掲出とマイク放送があり、東部出張所では出帳所長より職場に入るようにとの口頭連絡があつたこと、原告神田、同中田が集会前に本庁舎前で準備したこと、原告神田が組合代表として弾圧強化反対、政暴法反対などの発言をし、また解散宣言をしたこと、原告中田が組合活動に対する官側の介入弾圧について抗議団の派遣を提案したこと、原告田代が東部出張所で政暴法について発言したこと、原告田代が東部出張所で政暴法について発言したことの各事実は当事者間に争いがない。
<証拠>によれば、次の事実が認められる。
(1) 組合は、総評および公務員共斗会議の統一行動の一環として、全税関労働組合本部から、一〇月五日午前八時三〇分から午前九時一〇分まで職場集会を行なうよう指令を受け、組合執行部及び職場の代表者から成る支部委員会は、神戸税関の勤務開始時間は午前九時五分であることを認識しながら(勤務時間の定めは午前八時三〇分からであるが、九時五分までを出勤簿整理時間或いは出勤猶予時間として、それまでに、出勤すればよいことになつており、九時五分から執務態勢にあつた)、指令どおり勤務時間にくいこむ午前九時一〇分までの集会を開くことを決定した。そのスローガンは、全体としては政暴法反対、公務員としては五、〇〇〇円賃上げであり、神戸税関としては、当時の組合の斗争目標である計算センター設置反対、勤務評定反対、人事の民主化などの要求をかかげた。
その前日の一〇月四日、組合のビラによつて勤務時間にくいこむ集会の開催を知つた当局は、午後五時過ぎ頃森下総務課長補佐が組合書記局に赴き、組合支部長である原告神田に九時一〇分まで集会をするそうだが九時五分からの勤務時間にくいこまないようにとの税関長の警告を伝えた。
翌一〇月五日、原告らは午前七時三〇分頃から組合役員約二〇名とともに、本庁舎玄関庇に、「政暴法・勤評粉砕、一律五千円をかちとろう、計算センター反対」と書かれたプラカードをかけ、玄関前にマイク、机、組合旗を出すなど集会の準備をし、その後組合員は逐次正面玄関前に集り、他組合の組合員もまじる中で、原告らはその前面に立つて労働歌を合唱した。午前八時四〇分頃原告中田が開会の挨拶をし、続いて当時の情勢を説明し、原告神田は組合員の団結をうながす演説をした。午前九時五分に集会は終らなかつたので、その頃当局は、本庁舎総務課文書係事務室及び別館図書室の窓から、集会中の組合員に対し、「勤務時間内の集会は業務に支障を来たし、かつ、国公法違反になるから直ちに職場で執務して下さい」旨の税関長命令を記載した懸垂幕を掲出し、携帯マイクで同旨の放送をくりかえした。原告らはこれを無視して集会を続け、午前九時一〇分頃集会は終了した。
その終了直前、原告中田は、職場に帰る時税関長室を通り、我々の要求を直接訴えようと提案し(このことは組合の執行委員会で話し合われていた)、可決された。これに基づき、組合員約三〇〇人は四列縦隊のような形で労働歌を合唱しながら正面玄関から二階へ上り、先頭が税関長室前を過ぎて総務課秘書係入口附近に達したとき、原告中田は列外に出て携帯マイクを使用し、「五、〇〇〇円賃上げ」、「勤評反対」、「合理化反対」、「遠藤(税関長)やめろ」、「森(官房主事)やめろ」などと音頭をとり、組合員はそれに従つてシュプレヒコールをくりかえした。原告神田は列外に出て原告中田に合わせて音頭をとり、原告田代は列外に出て隊列の後部を指導した。これに対し森官房主事、高松人事課長、森下総務課長補佐らは、勤務時間中だからやめなさいと各々原告らに数回注意したが、原告らは無視して右行為を続けた。そして右隊列は午前九時一八分頃二階監視部長室部長横の階段附近で流れ解散した。
(2) 組合は、前回同様総評などの統一行動の一環として、全税関労働組合本部から、一〇月二六日午前八時三〇分から同九時一五分まで職場集会を行なうよう指令を受け、組合執行部及び支部委員会で検討した結果、政暴法が廃案になるかどうかの瀬戸際であり、政暴法粉砕のためにも必要であるとの考えもあつて、指令どおり一〇月五日のときより五分長い九時一五分まで集会を行なうことを決めた。スローガンは一〇月五日のときと同じである。
その前日の一〇月二五日組合のビラによつて勤務時間内にくいこむ集会の開かれることを知つた当局は、同日午後五時三〇分頃総務課において森官房主事から原告神田に対し、「明日午前九時一五分まで集会をするそうだが、勤務時間内の集会は業務に支障を来たすばかりでなく、国公法違反でもあるから、そのようなことのないように」との趣旨の税関長の警告書を交付した。
翌一〇月二六日午前七時三〇分頃、本庁舎前では原告神田、同中田らがプラカード、マイクなどを準備し、同八時四〇分頃全農林労働組合の藤原書記長の司会で集会は開始され、原告神田は組合代表として弾圧強化反対、政暴法反対の演説をした。午前九時五分に集会は終らなかつたので、その頃当局は、一〇月五日のときと同じ方法で、直ちに執務するようにとの税関長の命令を伝達した。しかし組合側はこれを無視し、むしろ集会への妨害であると非難して集会を続けた。午前九時一〇分過ぎ頃、原告中田は、官側の組合への介入と弾圧につき抗議団の派遣を提案して可決され、同九時一五分頃集会は終了した。
同日、東部出張所においても、二階ベランダで午前八時四〇分頃から大屋広志の司会で職場集会が開かれ、組合執行委員として参加した原告田代は、統一行動の意義を話し、政暴法反対の演説をした。九時五分に集会が終らなかつたので、その頃小山出張所長は、本庁舎におけるのと同旨の税関長の命令を集会中の組合員に伝達したが、原告田代はそれを無視して演説を続け、集会は九時一五分頃終了した。<証拠判断省略>
(四) 一〇月三一日ないし一一月二日の件
当時組合が輸出関係職員の増員を要求していたこと、月末月始の各々三、四日の輸出事務繁忙期に、月間事務量の三〇ないし四〇%が集中すること、昭和三六年一〇月三一日、輸出為替係の職員一五名の参加した職場集会が開かれ、それに原告中田が参加したこと、同年一一月二日午後六時頃、鑑査部第一部門の事務室で、原告神田、同中田が宮崎監査部長に対し、大量事務の処理方針や統計品目番号の記入などについて質問したことの各事実は当事者間に争いがない。
<証拠>によれば次の事実が認められる。
(1) 輸出業務が集中する月末月初各二、三日のいわゆる繁忙期には、輸出担当職員は二時間くらいの超過勤務や日曜休日も出勤することが多く、同僚への配慮もあつて休暇をとることも事実上難しい状態であつた。また大量の業務を処理するために、各職員がその能力に応じ、また各人の責任において審査を簡略化することも行なわれており、一人が一日に約二〇〇件を処理することもあつた。税関当局は、船積の直前に輸出の申告が集中してなされると処理できない場合もあり得るので、業者に対し、船積の四八時間前に申告するように、また、月末月初には臨時開庁申請をなるべく少なくするようにと行政指導をしており、従つて、それに従つて申告されたものについては期限内に処理せざるを得ず、超過勤務、休日出勤を繰り返していた。それでも、昭和三二、三年頃より良くなつていたのであるが、その他の職場に比べて忙しく、職員の間には不満がつのつていた(但し繁忙期以外の時期は、繁忙期だけで一カ月の約三分の一を処理することでもあり、休暇もとれない程ではなかつた)。
組合は、輸出の増加により業務は増加しているのに職員はふえないとして、従来より人員増加要求を続けていた。これに対し大蔵省関税局は、昭和三七年度に一、九〇〇名の増員を要求して(全税関労働組合は三、〇〇〇名を要求)、四〇〇名の増員を獲得しており、これは他の官庁に比べてかなり多くの増員であり、また昭和三六年度にも同数程度の増員を獲得しており、その内、両年度とも神戸税関にもかなり多数(一〇〇名以上)の配分があつた。従つて、神戸税関当局も人員増加の必要性を認め、これを要求していたものと推測される。また処理件数、人員の関係からみて、東京税関よりは繁忙ではあつたが、横浜税関に比べて、繁忙期はともかく、一カ月を平均すれば、神戸税関だけが特に繁忙であつたとはいえない状態であつた。
(2) 一〇月三一日午後五時過ぎ頃から、輸出為替の職場で一五人の職員が参加して輸出為替の職場集会が開かれた。これは組合の輸出分会結成準備会と組合とが協同して、繁忙期の業務処理、人員問題を検討するためであつた。その席に組合の代表者として参加した原告中田(輸出為替の職員ではない)は、官側は組合が人員要求しても何もしてくれず、労働強化を強いている、職員は無理のない件数をしよう、そうすれば仕事が残るので超過勤務命令を出すだろう、それを拒否すれば困つて人員不足を認識するだろうとの提案をし、一人一日の処理件数はどのくらいが適当かと職員に意見を求めた。一〇〇件くらいとの意見も出たが、結局これまでのように大量の事務を処理するため無茶苦茶に仕事をするようなことをやめ、無理のない件数(大体一〇〇件程度をさす)をやつて人員不足を認識させようということになつた(輸出申告の書類はまず為替課輸出係で審査され、輸出課、鑑査第一部門、そして再び輸出課へと流れるから、為替課での処理が遅れたら全部が遅れることになる。)
(3) 翌一一月一日、輸出為替の職員は、右集会の決定に従つて通常の繁忙期のような迅速な事務処理をしなかつたため処理は遅れ、午後四時頃には、五時以降臨時開庁をして超過勤務をしなければならないことが明らかな状態になつていた。午後三時四〇分頃、組合執行部は輸出第一、第二、為替の各課長に輸出第二課長の席に集るよう要請し、そこで課長らに、増員要求に協力して欲しい、税関長の所へ要求に行くから一緒に行つて欲しい、そうでないと労働過重だから超過勤務はできないとの申入及び交渉がなされた。柴原為替課長は遅れて行つて約一〇分程話を聞いただけで四時三〇分頃黙つて自席に戻つたので、間もなく原告ら及び輸出分会結成準備会の道本、高橋らが柴原課長の席に押しかけ、黙つて退席したことを責め、人員不足をどう思うか、増員要求への協力を確約してくれないと超過勤務はできないなどとつめより、その状態が五時二〇分頃まで続いた。この間の四時四〇分頃、係長から職場で超過勤務があるのかどうかと言つていることを聞いた金田課長補佐は、組合員に囲まれている柴原課長の所に行き、課長の指示を受けたうえ、係長を通じて、一部の者を除き職員に一時間の超過勤務命令を伝えた。午後五時頃被告田代は仕事を始めようとした職員に対し、人員要求の協力を確約しないと仕事をしないと課長と交渉しているから待てと言い、そのため職員は仕事をしなかつた。
通常臨時開庁をする場合には、四時過ぎ頃から職員がカウンターに残件の書類を出し、業者が四時三〇分までにその中から臨時開庁により審査する分を選択して開庁を申請し、五時までには開庁承認の印を押し終り、五時から開庁するのであるが、この日は右の事情で書類を出すのが遅れ、五時二〇分頃から審査する分を選択したので、結局六時頃から臨時開庁され、職員はこれに先立ち五時半頃から超過勤務についた。午後七時になつても残件が多くあつたので、柴原課長は更に一時間の超過勤務を命じたところ、原告らは輸出為替の職場に来て(神田、田代とも輸出為替の職員でない)、課長に対し、職員は疲れているからやめたらどうかと言い、職員に向つては、用のある者疲れている者は帰れと言つた。このような状態の中で席を立つ者もあり、職場は混乱したので、これ以上仕事を続けることはできないと判断した課長は、七時過ぎ頃一般職員を帰宅させた。課長は残つた仕事は係長でしようとしたが、業者の方から、やるのかやらんのか、三、四人でできるのかとつめよる一幕もあつた。午後八時三〇分頃税関長からの連絡で出て来た横田総務課長が、残つた分は翌日優先的に処理することで業者の納得を得て、その日の業務を打ち切つた。
その後横田、柴原課長らは税関長官舎に行き、翌日の処理について協議した結果、従来も特に忙しい時には重点的審査をしているとの柴原課長の説明に基づき、残件及び翌日の申告分を翌日中に処理するために、重点的審査を行なうことにした。
(4) 翌一一月二日午前九時一五分頃、柴原課長は金田課長補佐や係長を呼び、昨日の残件を含めて大量の事務を今日中に処理するため、輸出許可証の有無、有効期限、品目、数量のみを審査するようにと指示し、それは係長を通じて約一七名の職員に伝えられた。従来繁忙期には各人が審査を簡略化してはいたが、上司が一律に簡略化を指示したのは初めてであつた。
この指示は通常五〇程ある審査点を四点に減縮する大巾且つ画一的なものであり、他方神戸税関ではかつて梅干事件と称する事件(昭和三六年に梅干に関して農林省の検査合格証がないのに輸出許可をしたことで担当職員及び係長が収賄の嫌疑を受けた事件)があり、それ以来職員の間に審査を省略することを恐れる空気があつたので、職員は容易に右指示に従わず、組合執行部に対し税関長と交渉して重点審査が原因で事故が起つた場合の責任の所在を明らかにするよう要請した。そこで、被控訴人ら三名を含む執行委員は、同日午前一〇時頃税関長と交渉してその見解をただしたが、明確な答弁を得られなかつた。交渉は同一〇時を少し過ぎた頃終り、被控訴人中田及び同田代は、直ちに輸出為替課におもむいて結果を報告するとともに、職員に向つて、このまましていたら責任問題が起きる、課長に一札入れてもらつてから仕事をしようなどと言つた。柴原課長は、繁忙期には各人がやつていることであり、今日はやむを得ない、責任は私が持つと答え、かつ、原告中田らの要求に応じて職員に対し、改めて重点審査を指示するとともに責任は私が持つから心配いらない旨の説明をした。しかし原告中田らは納得せず、なおも執拗に文書にすることを要求し、職員に対して、文書にするまで輸出課への書類を回すなと言つたので、結局課長は、仕事を停滞させないために書いたらどうかとの金田課長補佐の意見もあつて、一〇時三〇分頃文書にすることを約束し、職員に文書にするから仕事をするようにと言つた。この間書類の流れはとまり、為替課から輸出課へ回つた書類を為替課へ引上げたりした。
その後課長が文書を書かなかつたところ、午後二時頃原告中田、同田代らが来て、早く書かないと書類を回さないと言い、課長が文書にして読み上げたとき、原告中田は、それは命令かお願いかと尋ね、課長が、命令であるが仕事を早く処理するためやわらげた方がよいとの考えで、お願いであると答えたところ、職員に向つて、お願いなら従う必要はないと言つた。そのため職員の間にとまどいを生じ、仕事は依然停滞していた。さらに三、四〇分後には被控訴人中田が再び輸出為替課に姿をあらわし、重点審査の責任は係員にあると税関長が言明したといつて仕事を中止させるに至つたのであるが、金田課長補佐が総務課で確認した上、右中田発言を打消し、責任は課長にあるといつたので、以後正常な状態にもどり、仕事はにわかにスピードアップされた。
(5) 同じ一一月二日午後五時頃鑑査第一部門においては、輸出為替課の確認事務が右述の経過でスピードアップされた影響を受け、同課から大量の書類が一時に回付されたため、通常の方法では処理し切れない事態となつた。そこで、宮崎鑑査部長は、局面打開の方法として、輸出為替課におけると同様重点審査をすることを指示するとともに、三〇分休憩して五時半から臨時開庁することとし、職員に対し超過勤務命令を出した。ところで、右重点審査の指示は、現物検査を最少限にとどめ、書類審査(その内輪出検査証の審査を不可欠とし、他は適当に省略する。)と統計品目番号(コードナンバー)の記入に重点をおくことを内容とするものであつたが、その趣旨が必ずしも明瞭でなかつたため、職員の間に疑義を生じ、このことは組合執行部に報告された。そこで、被控訴人神田、同中田らを含む組合執行部約一〇人は、鑑査部吉井鑑査官の席に集り、適当に省略するとはどういうことか、その内容を示せと要求し、六時頃同所に来た宮崎部長を取り囲み、こんなに大量の仕事をやらせてできるものか、お前の指示を受けてやると殺されてしまう、などと大声を出した。その頃窓口にいた多くの業者から、早くやつてくれ、船の出航に支障を来たすとの申入れがなされた。そこで宮崎部長は、超過勤務がスムースに行なわれていないし、とにかく早く処理するため、六時三〇分頃、コードナンバーの記入は省略してもよいとの新たな指示をした。これに対し原告神田ら組合執行部は、そのような命令は文書にせよと大声で迫り、宮崎部長が総務部へ行くとそこまでつきまとつて要求した。このように室内は騒然としたため、部長が右指示を文書にした七時頃まで職員の仕事はとまつていた。それ以後仕事は順調に進み、午後八時過ぎに超過勤務は終つた。<証拠判断省略>
(五) 一二月二日の件
昭和三六年一二月二日午前中に、原告中田が輸出関係職員に午後〇時三〇分に三階講堂へ集合するようにとの伝達をしたこと、正午頃輸出関係職員に、午後一時三〇分より四時三〇分(一部は三時三〇分)まで超過勤務につくべき旨の業務部長名の書面が交付されたこと、午後〇時三〇分頃組合員約四五名が三階講堂に集つたこと、午後一時一五分頃から二時頃まで、原告中田、同田代が他の組合役員とともに業務部長室において、沢田業務部長、宮崎鑑査部長に対して、先に取りまとめた四五名の超過勤務命令撤回願を提出し、その個々的審査を求めたこと、午後二時頃三階講堂に集合待機していた組合員は解散し、業務部長室で交渉していたた組合役員も引きあげたこと、原告田代が来関中の業者の応待にあたり、協力を要請したことの各事実は当事者間に争いがない。
<証拠>によれば、次の事実が認められる。
(1) 一一月二日に結成された組合の輸出分会は、組合とともに、職場の要求として人員要求をしていたが、繁忙期には職員が労働過重になつていること、つまり人員が不足していることを税関当局に認識してもらうとの趣旨で、分会の役員は超過勤務命令撤回願を全員で出すことを決め、組合執行部も同調した。それは超過勤務拒否の形を避けながらも実質的にはそれと同じ効果を挙げることを目的とするものであつた。それで前もつて組合書記局で、氏名及び理由を書き込めばよい形式の超過勤務命令撤回御願の用紙をガリ版刷りにした。
一二月二日(土曜日)、超過勤務命令の出ることが予想されたので、午前一〇時頃組合執行部及び分会役員が手分けして、各職場で撤回願の用紙を配付すると同時にその趣旨を説明し、全員で出した方がよいから命令が出たら書いてもらいたいと要請した。一二時頃超過勤務命令が出た後、役員らは再び職場でまとめて出すのだからと書くことを要請して回収し(書かない人もあり全部ではなかつた)、一二時三〇分に三階講堂に集まるようにと職員に要請した。なお輸出一課では、用紙の配付及び回収、集合の勧誘などを課員である原告中田が行なつた。そして一二時三〇分に午前中の勤務時間が終了するや、組合執行部や分会役員は各職場を回り、三階講堂へ集まるようにと告げた。なお、通常土曜日の臨時開庁は三〇分休憩して午後一時から始まるのであるが、午前一一時頃、原告中田、道本輸出分会長らは一時間の休憩を要求したので、沢田業務部長、宮崎鑑査部長らはそれを認め、午後一時三〇分から臨時開庁されることになつた。
(2) 午前一〇時頃、組合が撤回願を一括して提出し職員を講堂に集めることを知つた沢田部長は、輸出分会の道本、野村に対し、怠業行為になるから許可にならないと注意し、岩田輸出第一課長は湊課長補佐とともに、原告中田に対して右同様の注意をした。一二時過ぎ頃、森総務部長、沢田総務部長、宮崎鑑査部長、横田総務課長は、総務部長室において撤回願の取扱いについて協議した結果、健康状態はいつも調べて超過勤務命令を出すように課長に言つてあるから改めて調べる必要はない、全員が疲れているはずはないし、組合が一括して提出するのはお願いの形式をとつても怠業行為にあたるとの考えで、撤回願は認めないことにした。
(3) 一二時四〇分頃、原告中田、道本分会長、杉原執行委員らに、撤回願を提出するため総務部長室の沢田、宮崎両部長に面会を申し入れたが、食事中とのことで業務部長室で待ち、午後一時一五分頃、帰つて来た沢田部長らに約四五人の撤回願を提出し、職員は疲れている、個人個人の健康状態や都合を調べて命令を出して欲しいと超過勤務命令の撤回を求めた。これに対し沢田、宮崎両部長は、不断から健康状態は注意している組合がまとめて出すのは怠業行為で認めるわけにはいかないと拒否して勤務につくように言い、拒否する理由を文書にせよと主張する組合側と押し問答が続いた。
(4) 原告田代、中野ら組合執行委員は、昼休みに職場を見て回り、帰つている職員に講堂へ行くようにすすめ、一時三〇分になつて超過勤務につくべき職場に帰つて来た職員にも同様のことをした。講堂では、集まつた約五〇名の職員に対し、原告神田が、撤回願について交渉している、官は一方的に命令を出しているが必ずしも聞く必要はないと説明し、神戸税関を訪れていた全税関労働組合本部の栗山委員長が、賃上げ斗争など全国の組合活動の状態を話した。
一時四五分頃、職場に職員がいないとの報告を受けた総務課では、横田総務課長を先頭に係長以上一〇人が、一時五〇分頃講堂に行き、集まつていた職員に対し、超過勤務は猶予されていない、直ちに職場に帰つて執務するように、との業務命令の書かれたプラカードを掲げ、林係長がマイクで放送した。これに対し原告神田は、部長交渉中だから待機しているのだと大声で答え、組合員も命令に応じて職場に帰る者はなく、課長らに対し、帰れ帰れと叫んだりした。
(5) 輸出の職場では、一時三〇分を過ぎても職員は殆どおらず、仕事をしなかつたため、業者から抗議が出ていたが、一時四五分頃原告田代が業務部長室から来て、人員要求の斗争をしている、一時的には迷惑をかけるが了承して欲しいと弁解し、協力方を要請していた。二時少し前頃、そこへ横田総務課長らが講堂から降りて来たところ、業者らは横田課長にも、どうしてくれるんだと苦情を申し立て、横田課長は、組合が職員を講堂に集めているが、直ちに執務するように言つてあるから待つて欲しいと了承を求めた。
(6) 午後二時過ぎ頃原告中田が講堂に来て、交渉は決裂した旨伝え、原告神田が、弾圧の危険があるので職場に帰つて仕事をするようにと命じたので、午後二時五分頃職員は職場に帰つた。その後二時一五分頃、原告ら組合執行部は、沢田、宮崎両部長に対し、超勤は何時まであるんだ、早くやめさせろなどと抗議していた。なお、二時五分以後仕事は順調に進み、遅い職場でも午後七時頃には終了した。<証拠判断省略>
五、原告らの行為が懲戒事由にあたるかどうかを検討する。
(一) 八月一九日の件
(1) 前記認定の事実によれば、大塚に対する処分は、事件発生後一年一〇ケ月、監視部長の談話発表後一年二ケ月、大塚に対する最後の取調が行われた後一年一ケ月を経てなされており、処分の内容も右談話に現われたところと異つている。他方<証拠>によれば、大塚はこの件につき刑事処分を受けていないこと、組合は、この件につき独自の調査を遂げた結果大塚の潔白を確信していたこと、大塚は、組合の事件発生当時の組織部長、右処分当時の副支部長で、いずれもその頃当局と対立していたことが認められ、これらの事実を総合すれば、組合員らが右処分は組合に対する弾圧ではないかと疑い、当局に対する抗議に熱を帯びたのは当然である。もつとも、<証拠>によれば、組合は、この件につき社会党の代議士を通じ当局と交渉したことが認められるから、組合幹部は、右処分が遅延し処分内容が変更せられたいきさつを或いは知つていたかとも思われる。しかし、そのいきさつの内容は不明であるし、一般組合員がこれを知つていた形跡はないから、右遅延及び変更の事実を抗議の理由にすることは必ずしも条理に反しない。
(2) 右抗議に対する当局の態度は、前認定のとおりであり、組合員を納得させるものでなかつた(もつとも、だからといつて当局の態度を非難することはできない、なぜなら<証拠>によれば、当局は、根拠なくして大塚の行動に疑を抱いたわけでないことがうかがわれるが、右の根拠を公表することは適当でないからである。)。
以上の事情が認められるが、それにもかかわらず前認定の本件抗議活動の態様(官房主事らを取囲んだ上、侮辱的威圧的暴言をあびせ、同旨の貼り紙をし、退出を阻止した。)は、明らかに行き過ぎであり、殊にその際の被控訴人田代の言動(携帯マイクを使用し、官房主事の耳もとでバカヤロー、チンピラなどと叫んだ。)は乱暴きわまるもので、正当な組合活動の範囲を逸脱した行為であり、国公法八二条三号に該当すること明白である。
(二) 一〇月五日、二六日の件
両日の集会は、前判示のとおり、全税関労働組合の本部からの指令に基づき、総評、公務員共斗会議などの統一行動の一環として行なわれたもので、他組合の組合員も参加したが、組合執行委員会及び支部委員会は指命どおり行なうことを決定したのであるから、組合の職場集会の実体をもつものであり、原告らは委員長、書記長、執行委員として、その決定に関与し、かつ運営にあたり、更に庁内行進を提案し、指導したものと認められる。
ところで神戸税関では、午前九時五分が出勤簿整理時間とされ、それ以後は出勤簿は引上げられ勤務態勢にあつたと認められるから、勤務時間にくいこんだ職場集会は、短時間であつても職場離脱による争議行為といわなければならない。
憲法二八条は労働基本権の保障を規定し、それは原則として公務員労働者にも適用されるが、公務員の場合は、職務の公共性からみて、争議行為が公務の停廃を来たし、ひいては国民全体の利益を害し、国民生活に支障をもたらすおそれがある。従つて、公務員の労働基本権は、職務の公共性に対応する内在的制約を包含しているものと解さなければならない。しかし、職務の公共性といつても強弱さまざまであり、また争議行為にも、規模の大小、時間の長短等種々の態様があるから、一律にすべての争議行為を禁止するのは問題である。国公法九八条五項は公務員の為議行為を禁止しているが、労働基本権を保障した憲法の趣旨にそつて考えるとき、争議行為による公務の停廃が国民生活全体の利益を害し、国民生活に重大な支障をもたらすおそれがある場合、争議行為が職員団体の本来の目的を逸脱している場合、暴力その他それに類する不当な圧力を伴なう場合など、違法性のある程度強いものだけを禁止したものと解するのが相当である(なお、ここにいう違法性のある程度強いものとは、刑事罰をもつて臨むほど違法性の強いものであることは要しないものと解する。即ち、刑事罰をもつてのぞむほどの違法性を欠く場合でも違反者に対し当該行為に相当の懲戒処分をし、また民事上の責任を追求することのできる場合もあるものと解する。)。換言すれば、争議行為であつても、右例示にあたらないものについては、国公法九八条五項で禁止する争議行為にはあたらないものというべきである(以下違法とは、国公法で禁止される場合をいう)。被控訴人らは、国公法九八条五項の規定は、憲法二八条の規定に違反すると主張するが、国公法九八条五項により禁止される争議行為を前記のように制限的に解釈することができるのであり、右規定は、国家公務員の争議行為を一律全面的に禁止する趣旨でないと解すべきであるから、憲法二八条に違反するものではない。被控訴人らの右主張は採用できない。
そこで、税関職員の争議行為の制限について考えてみるに、税関は、輸出人の通常業務、密輸出入の取締などを主たる職務とし、関税法の定めるところにより関税の確定、納付、徴収及び還付ならびに貨物の輸出及び輸入についての税関手続を適正迅速に処理すべき職務権限を有するものであるから、その業務の正常な運営は、輸出入に関係する業者のみならず国民の経済生活や輸出入による我が国の経済の発展にも影響があり、ひいては国際信用の面からも是非必要である。関税法九八条は、「①日曜日、休日又はこれらの日以外の日の税関の執務時間外において、税関の政令で定める臨時の執務を求めようとする者は、税関長の承認を受けなければならない。②税関長は、税関の事務の執行上支障がないと認めるときは、前項の承認をしなければならない。」と規定し、他の官庁においては殆んどその例をみないいわゆる臨時開庁の制度が設けられており、右規定の趣旨から考えると、税関長は、臨時開庁の請求があつた場合には、執務上支障のない限り右請求を承認し、臨時開庁をする義務があるものと解すべきである。右のような制度は、税関における輸出入の通関業務が他の一般行政庁におけるより以上にその業務の運営の適正迅速が要求され、これに対応するために設けられているものと解すべきである。密輸出入の取締等を主たる職務とする監視部の職員はもとより、輸出又は輸入の税関業務を主たる職務とする業務部(輸出業務課、輸入業務課)、輸出輸入に関する鑑査をする鑑査部(右業務を取扱う部課については、原審証人滝野輝雄の証言により認める。)その他の業務を担当する関税職員の職務の公共性は、かなり強いものであつて、以上の諸点を併せ考えると、税関の職務の停廃は、仮りに短時間であつても、国民生活全体の利益を害し、国民生活に重大な支障をもたらすおそれがあるものと解するを相当とする。
被控訴人らは、税関の職務は、一般的にいつて公共性が稀薄であり、その業務の停廃は、国民生活に重大な支障を及ぼすものではない。このことは輸出は通常商社、通関業者、税関、沿岸荷役業者、船内荷役業者の五者を順次経由してなされるものであり、そのうち一部門に停廃があれば全体に遅れを来す点で五者は同等の重要性を有するのに、税関以外の部門の争議は公共性の立場から規制されることはないことからも明らかであると主張するが、税関の職務の公共性が強く、その職務の停廃は、長時間にわたらぬ場合においても国民生活全体の利益を害し、国民生活に重大な支障をもたらすおそれがあることは、既に説明したとおりであり、被上告人らの主張するように五者を順次経由して輸出がなされるとしても、税関以外の者はすべて私企業であり、私企業の従業員たる労働者には一般的に労働争議が許されており、その業務も代替性のあるものであるから、輸出入業務その他の税関業務を専属的に取扱う権限を有する行政庁たる税関と比較することはできないことが明らかである。税関以外の輸出関係者の労働者が一般的に争議行為が許されていることを以て、被控訴人ら主張のような結論を導き出すことはできない。右主張は採用できない。そこで更に、一〇月五日の集会及びこれに続く庁内行進の適法性の有無について検討するに、勤務時間へのくいこみは僅か一三分ではあるが、前判示のとおり、税関の職務は公共性がかなり強く、また集会による職場離脱が一部の職場ではなく全体で行なわれたこと、そして僅か一三分であつても多数の者が同時に行うことの結果は軽視すべきできないことなどを考えれば、右集会による公務の停廃は国民生活の全体の利益を害し、国民生活に重大な支障を及ぼすおそれがあると解されるから右集会及びこれに続く庁内行進は違法というべきである。なお、当時労働組合その他諸種の団体によつて政暴法に対する反対運動が広く行なわれており、その線にそつた統一行動の一環である本件集会においても、政暴法反対はかなり重点的な目標の一つであつたことがうかがわれるが、その他の目標からみて、職員団体の本来の目的を逸脱する程政治目的が強いとは必ずしもいえない。しかし政治目的が含まれていたことは、若干違法の程度を強めるものと解せられる(政治目的は経済的地位の維持改善に直接関係がないから、そのための争議行為は職員団体の本来の目的を逸脱するものとして許されない)。
次に、一〇月二六日の集会について検討するに、勤務時間へのくいこみが一〇分間であること以外は、一〇月五日の件とほぼ同様である。しかしながら組合執行部は、一〇月五日より五分長い集会を行なうことを決めた際、前判示のとおり、政暴法が廃案になるかどうかの瀬戸際であり、政暴法粉砕のために強く斗かう必要があるとの判断に立つていた。従つてこの集会は政暴法反対として政治目的が強く出ていることが認められ、その点一〇月五日の集会と同一に論ずることはできず、この点からも違法な争議行為といわざるを得ない。
被控訴人らの一〇月五日及び二六日の行為は、国公法九八条五項前後段に違反し、同法八二条一号に該当する。なお、控訴人は、被控訴人らの行為は右のほか国公法九八条一項、一〇一条一項、人事院規則一四―一第三項前後段に違反し国公法八二条三号に該当すると主張する。しかし、これらの法案は争議行為としてなされた行為には適用がない。けだし、これらの法条に違反する行為は、もともと争議行為に通常随伴する行為であつて、これに対する規制は、かりにその争議行為が違法な場合でも、専ら国公法九八条五項によつてなされるものと解すべきだからである。従つて、右主張は採用できない。
(三) 一〇月三一日ないし一一月二日の件
人員増加要求は、単に輸出分会(或いはその結成準備会)だけの問題ではなく、組合としても取り組んでいた問題であり、また当初の企画は分会がしたとしても、組合も事前に相談を受けて賛同していたものであるから、組合と分会の関係からみて、これらの行為は単に分会だけのものでなく、分会と組合が共同して行なつたものとみられる。(この点は一二月二日の件も同様である。)
繁忙期の労働状態から人員増加要求が正当であり、当局の対処が組合からみて不十分であつたとしても(但し大蔵省関税局も神戸税関当局も人員不足を認め努力していたと推測されることは前判示のとおり)、処理件数をわざと低下させ、業務を妨害するという形で人員不足を認識させようとすることは、正当な方法とはいい難い。しかも業務の集中する繁忙期であるから、業務が停廃すれば船積みに遅れる危険性もあり、国民生活に大きな影響を与えるおそれがある(もつとも、仕事があるからといつて能力体力の限界を越えた執務を要求することはできないが、早目に申告するよう、そして繁忙期にはできるだけ申告を少なくするよう、行政指導をしても、なおかつ一時期に集中する以上、現人員でできる限りのことをすべきである)。
同様に、超過勤務命令及び上司の指示を拒否すること、それに関連して喧噪にわたるような方法で部長、課長に要求を続けることも、怠業の勧しよう、業務妨害であつて違法である。
なお前記のように税関における臨時開庁は、税関における輸出入等の税関事務を適正迅速に処理するために行われ、他の行政官庁において殆んど例をみない業務の公共性の強い執行方法であり、その実効を期するために超過勤務命令を出すことは必然的なものであり、予定されたものであると解すべきである。従つて、かかる公共性の強い制度及びこれに必然的に伴うべき超過勤務命令を尊重せず税関中でも輸出入等の重要な業務を担当する職員が集団的に怠業又は拒否行為をするに当り、これを企画し、その実行を指導し、実行せしめることは違法であると解するのを相当とする。
審査は、基本通達に基づいて行なわれるべきものであり、そのとおり行なわれることが望ましいが、常にどのような場合にもそのとおりしなければならないものとは解すべきではない。運用面における裁量は、事情によつては許されるべきであり、部長課長などの責任者が重点審査にせよと指示することも、そうせざるを得ない特別の事情があれば許されるものといえる。一一月二日の重点審査の指示は、前日からの残件もあり、船積の関係上なるべく早急に処理する必要があつた以上、特別の事情がある場合として許されるものというべきである。原告らは、いわゆる梅干事件があり、職員に不安があつて文書にすることを要求したと主張するが、上司の指図があつたのであり、梅干事件の取調べが収賄の疑いであつたことからみて、同一には論ぜられない。また、従来も各人がそれぞれの責任で重点的審査をしていたのであるから、上司の指示のあつたこのときに限つて、文書にしなければ不安であつたとは認められない。もちろん、指示の内容を明確にするため、これを文書にすることを要求すること自体は許されることであるが、怠業の手段にしたり、喧噪にわたるような方法でくりかえし要求するのは正当な方法でない。処理件数を少なくして残件を多くしたうえ超過勤務を妨害し、やむを得ず重点審査を指示するとそれに文句をつけるという一連の行為を考えれば、その不当なことは明らかである。
被控訴人中田、同田代の一一月一日及び二日の輸出為替課における各行為及び被控訴人神田の一一月一日の輸出為替課における行為は、国公法九八条五項後段に、被控訴人神田、同中田の一一月二日の鑑査第一部門における行為は同法九八条五項前段に違反し、同法八二条一号に該当する。なお控訴人は、右のほか、(イ)被控訴人中田の一〇月三一日の行為は国公法九八条五項後段に違反し、(ロ)被控訴人中田、同田代の一一月一日の行為は人事院規則一四―一第三項後段に、被控訴人中田、同田代の一一月二日の輸出為替課における行為は、国公法一〇一条一項、人事院規則一四―一第三項前段に、被控訴人神田、同中田の一一月二日の鑑査一部門における行為は、人事院規則一四―一第三項後段に違反し、国公法八二条三号に該当すると主張する。しかし、(イ)については、前認定にかかる被控訴人中田の一〇月三一日の行為は、いまだこれを以て怠業行為を企て又はその遂行を共謀しそそのかしあおつたものと認めるに足らず、(ロ)については、控訴人主張の法条を適用する余地のないこと一〇月五日及び二六日の件につきさきに述べたと同様である。従つて、右主張は採用できない。
(四) 一二月二日の件
超過勤務命令の撤回願は、超過勤務拒否の形を避けながらも、実質的にはそれと同じ効果を挙げることを目的とするものであり、超過勤務命令が出される前に用紙を配付し、命令の出た人全員が撤回願を出す態勢であつた。従つて、健康状態の悪い人、やむを得ない用事のある人など、超過勤務をできない人がその撤回を願い出る通常の場合と異り、一括して提出して個々的審査を要求し、その間職員を三階講堂に集めて待機させるのは、実質的には、審査に名を借りた職場離脱であり、繁忙期の業務を妨害する違法な行為である。既に述べたように、税関における臨時開庁制度の必要性、重要性及びその制度に必然的に随伴する超過勤務命令の必要性を考えると、超過勤務命令を実質的に拒否することを目的とする行為の違法であることは明らかである。原告らは部長との交渉中超過勤務は猶予されていたと主張するが、業務部長らは初めから撤回願を認めない態度で、そのことは午前中の警告によつて原告ら組合執行部にも分つていたのであり、これに対し、拒否の理由を文書にせよなどの組合の抗議、要求が続いていただけで、超過勤務が猶予されているというような状況ではなかつた。
被控訴人らの一二月二日の行為は、国公法九八条五項後段に違反し、同法八二条一号に該当する。なお、控訴人は、被控訴人らの行為は、右のほか国公法一〇一条一項、人事院規則一四―一第三項前後段に違反し、国公法八二条三号に該当すると主張する。しかし、これらの法条を適用する余地のないこと一〇月五日及び二六日の件につきさきに述べたと同様である。従つて、右主張は採用できない。
六、不利益取扱いについて
<証拠>によれば、被告は、昭和三六年一一月二八日頃から組合員が坐りこみをしたところ、やめるまで応じないとして一時団体交渉を拒否したこと、本件処分後原告らが役員となつていることを理由に団体交渉を拒否したこと、本件処分後、三七年六月の組合大会で原告らが役員に選ばれるや、課長係長らが組合を脱退し、組合員に対する脱退勧誘が強く行なわれたこと(これが三八年初め頃のいわゆる第二組合の結成につながつた)、組合員の昇給昇格が遅れていることなど被告に反組合的意思のあることをうかがわせる事情が認められる。しかし、前判示のとおり、処分事由たる原告らの行為は違法であり、その違法行為を理由として本件処分は行なわれたものと解されるから、右のような事情があつても、それだけで直ちに不利益取扱いに該当するものとは認められない。
七、処分権の濫用について
(一) 公務員の懲戒処分は、処分権者の裁量に任されてはいるが、処分事実の性質、程度など諸般の事情を考慮し、社会通念上著しく妥当を欠いている場合には、裁量の範囲を超えたものとして違法というべきである。
(二) そこで、処分事実につき、右の観点から検討する。
(1) 八月一九日の抗議活動は、正当な組合活動の範囲を超えたものであり、その程度、方法からみて情状は必ずしも軽いとはいえない。しかし、さきに判断したとおり、組合員らが大塚の処分に対し疑惑を抱くにつきもつともな理由があつたにかゝわらず、税関長自身が処分書を交付せず、代りの官房主事が十分な説明をしなかつたことなど税関側の態度が、組合員を納得させるものでなかつたことが執拗かつ激しい抗議活動を誘発した原因の一つでもあるから、組合側だけを非難することはできない。
(2) 一〇月五日の集会、庁内行進は、午前九時一八分頃に終了しているから、九時二〇分頃には職員は職場に帰り執務態勢にあつたと推測される。結局職場離脱は約一五分間である。一〇月二六日の集会は九時一五分に終了しているから、右同様に、職場離脱は約一二、三分である。両日とも、集会の実施を決定したのは組合であるが、全税関労働組合本部からの指令どおりの時間であることも考慮すべきであり、またそのために業務処理が遅れ、具体的に問題が生じたこともなかつた。従つてその情状は軽いといえる。
(3) 一〇月三一日から一一月二日の行為は、繁忙期における輸出関係業務の処理件数を低下させ、残件がふえたところで超過勤務を妨害し、やむなく重点審査を指示するやそれも妨害するという一連の業務妨害である。重点審査という窮余の策により、一一月一日の残件を二日に持ち越しただけで、船積みできないという最悪の事態は避けられたが、職場を混乱させ、遅れたことで業者にしわよせがあつたと推測される。従つてその情状は一〇月五日及び二六日の行為よりやゝ重いが、結果的に最悪の事態が避けられたこと、繁忙期は多忙を極めており、人員増加要求は職場からの強い要求であることが考慮されるべきである。
(4) 一二月二日の行為は、繁忙期における約三五分間の職場離脱による超過勤務拒否であり、その後普通に処理されて特に問題は起らなかつたが、輸出関係全体に及んだだけにその情状は軽くない。しかし、右同様、最悪の事態は発生せず、また繁忙期の執務状態が遠因であることが考慮されるべきである。
(三) 懲戒処分には免職、停職、減給、戒告の四種がある(国公法八二条)。前記認定のとおり国公法九八条が国家公務員の争議行為を一律全面的に禁じているものでないこと、禁止される為議行為と許される争議行為との限界の判断はむずかしいこと、特に時間内に喰い込んだ職場集会の許されるか否かの限界の判断はむずかしいこと、その他前記認定の諸般の事情、行為の態様、被控訴人らの組合における地位及び本件行為の当時の社会情勢等を考慮するならば、昭和三五年七月、日米安保条約反対斗争で、同年六月三度にわたり午前九時三〇分頃までの勤務時間内職場集会をしたことにより、原告神田が減給一〇分の一を二カ月間、同中田が減給一〇分の一を三カ月間、同田代が戒告の各懲戒処分を受けた前歴があること(<証拠>により認める)を考え合わせても、懲戒免職処分をもつて臨むのは、本人の現在及び将来に重大な苦痛を与え、その結果は余りにも過酷であり、社会観念上著しく妥当を欠くと認められるから、本件処分は裁量の範囲を超えたものとして違法というべきである。
(編注引用部分はこゝで終り。)
以上の理由により本件懲戒免職処分は取消すべきものであるから、右取消を求める被控訴人らの第二次請求は正当として認容すべく、これと同旨の原判決は相当であつて本件控訴は理由がない。よつてこれを棄却することとし、訴訟費用(附帯控訴費用を含む。)の負担につき、行政事件訴訟法七条、民訴法九六条、八九条、九二条但書九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(岡野幸之助 入江教夫 高橋欣一)
別紙(編注、原判決第二項に引用されている)
(処分の理由)
神田綽夫
上記の者は、
一、昭和三六年一〇月五日当局の発した前日の警告及び当日の執務命令を無視して、当関本庁舎正面玄関前で勤務時間内にわたつて行なわれた職場集会を積極的に指導し、更に引き続いて当関本庁舎内をデモ行進した。
二、同年一〇月二六日当局の発した前日の警告及び当日の執務命令を無視して、当関本庁舎正面玄関前で勤務時間内にわたつて行なわれた職場集会を積極的に指導した。
三、人員増加要求を貫撤するため、同年一一月二日当関鑑査部第一部門事務室において、多数の全国税関労働組合神戸支部(以下「組合」という。)組合員とともに鑑査部長を取り囲み、大声で業務上の指示は文書をもつてこれをなすよう要求するなど同事務室の平穏静ひつを害し、同事務室における通関業務の処理を妨げた。
四、人員増加要求などを貫徹するため、同年一二月二日中田一夫、田代一郎ら組合執行部役員とともに、当関輸出関係業務担当職員に、一斉に超過勤務命令撤回願を提出するよう勧しようし、その結果作成された同撤回願を一括して当関業務及び鑑査両部長にそれぞれ提出し、かつ同日午後一時三〇分から超過勤務に服すべき上記職員約四五名を三階講堂に集結させて、同二時五分頃まで同人らによる通関業務の処理を妨げた。
上記の行為は国家公務員法第九八条第一項、第五項及び同法第一〇一条第一項並びに人事院規則一四―一第三項の規定に違反し、国家公務員法第八二条に該当するので同条の規定により懲戒処分として免職する。
別紙
(処分の理由)
中田一夫
上記の者は、
一、昭和三六年一〇月五日当局の発した前日の警告及び当日の執務命令を無視して、当関本庁舎正面玄関前で勤務時間内にわたつて行なわれた職場集会を積極的に指導し、更に引き続いて当関本庁舎内デモ行進を提案し、これを行なつた。
二、同年一〇二六日当局の発した前日の警告及び当日の執務命令を無視して、当開本庁舎正面玄関前で勤務時間内にわたつて行なわれた職場集会を積極的に指導した。
三、人員増加要求を貫撤するため、同年一〇月三一日から一一月二日に至る間、当関輸出為替業務担当職員に対し処理件数を低下させるよう提案するなど、輸出事務繁忙期における通関業務の処理を妨げようと企て、これをしようようし、その結果上記業務を妨げた。
四、人員増加要求などを貫徹するため、同年一二月二日神田綽夫、田代一郎ら全国税関労働組合神田支部執行部役員とともに、当関輸出関係業務担当職員に、一斉に超過勤務命令撤回願を提出するよう勧しようし、その結果作成された同撤回願を一括して、当関業務及び鑑査両部長にそれぞれ提出し、かつ同日午後一時三〇分から超過勤務に服すべき上記職員約四五名を三階講堂に集結させて、同二時五分頃まで同人らによる通関業務の処理を妨げた。
上記の行為は国家公務員法第九八条第一項、第五項及び同法第一〇一条一項並びに人事院規則一四―一第三項の規定に違反し、国家公務員法第八二条に該当するので同条の規定により懲戒免職処分として免職する。
別紙
(処分の理由)
田代一郎
上記の者は、
一、昭和三六年八月一九日神戸税関長官房主事室において、同日午前一一時五〇分頃から午後五時四〇分頃まで行なわれた当関神戸外郵出張所勤務の大蔵事務官大塚宏圀にかかる戒告処分に対する抗議活動に際し、多数の全国税関労働組合神戸支部(以下「組合」という。)組合員とともに官房主事を取り囲みその退室を阻止し、また官房主事らに対し威圧的言動を弄した。
二、同年一〇月五日当局の発した前日の警告及び当日の執務命令を無視して、当関本庁舎正面玄関前で勤務時間内にわたつて行なわれた職場集会を積極的に指導し、更に引き続いて当関本庁舎内をデモ行進した。
三、同年一〇月二六日当局の発した前日の警告及び当日の執務命令を無視し、当関東部出張所ベランダで執務時間内にわたつて行なわれた職場集会を積極的に指導した。
四、人員増加要求を貫徹するため、同年一一月一日及び二日、当関輸出為替業務担当職員に対して超過勤務命令に応じないよう勧しようするなど、輸出事務繁忙期における通関業務の処理を妨げるようしようようし、その結果上記業務を妨げた。
五、人員増加要求などを貫撤するため、同年一二月二日神田綽夫、中田一夫ら組合執行部役員とともに、当関輸出関係業務担当職員に、一斉に超過勤務命令撤回願を提出するよう勧しようし、その結果作成された同撤回願を一括して当関業務及び鑑査両部長にそれぞれ提出し、かつ同日午後一時三〇分から超過勤務に服すべき上記職員約四五名を三階講堂に集結させて、同二時五分頃まで同人らによる通関業務の処理を妨げた。
上記の行為は国家公務員法第九八条第一項、第五項及び同法第一〇一条第一項並びに人事院規則一四―一第三項の規定に違反し、国家公務員法第八二条に該当するので同条の規定により懲戒処分として免職する。